SHIINBLOG

赤き血のなんちゃら

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母の遺品(日記)

3連休と前後を付けて、母方の実家へ帰った。

母は私が小学校に入学した直後に亡くなっているが、母方との関係は大変良好である。

母方とは言うが、祖父は母が中学か高校の頃に亡くなっているため、私の父も会ったことはないそうだが。

 

祖母が家に着くなり「あなたのお母さんの部屋を整理してたら、昔のノートや作文が出てきたから読んでみなさい。今日は台風が来るかもわからないから、外へは出られないだろうし…」と言う。

 

正直、この時点では何も考えていなかったが、結果的にもっと考えるべきだったと今後悔して、この記事を書くに至った。

 

渡された遺品は母が大学入学後から卒業、入社して研修を終えるまでの期間の日記だった。

 

結論から言うと、他人(あるいは親のものたたから余計になのか)の日記を見て損することは多々あっても得することはほとんど無い、ということ。

加えて言うと、「私の母となる前の一人の女子大生の日記を読んだ」ということを考えると、異性の日記は読むべきではない…

 

もちろん、ノートを開いてすぐに分かることだが、読むのを止められなかった。

 

母と父は大学時代に同じサークルで出会い、付き合い始めたため、大半がそのことに関する記述であったと思う。

 

先に書いたが、母は私が小1の春には他界しているので、正直覚えていることといったらほとんどが闘病生活のことである。辛い辛い記憶なので忘れてしまいたいが、これを忘れてしまうと、母に関する記憶は何も残らないかもしれない。

つまり、私は母のパーソナルな情報をほとんど知らなかった。

 

もちろん、父や祖母から母はこういう人でこういうことをしていた、とかは聞いている。

微かに残る記憶の中で、母がどういう雰囲気の人であったかというのも何となく覚えている。

 

ただ、肉親ということを考えればあまりに知らなさ過ぎると思う。母が何を考え、どう行動してきたか、などを見て学ぶような年齢じゃなかった…

 

それだけにこの日記は、母がそれぞれの出来事についてどう考え、どう行動し、どういう結果になったか、きっちりと書かれていた(母はすごくマメな人であったようだ)。

読んでいて、母がどういう大学生だったのかが伝わってきて、この時の話をもっと聞かせて!とどれだけ願おうが、もう会えないことが悲しくて、無念でならない。涙が抑えられなかった。

 

日記らしく、日時と天気、講義や教習所への出席やバイト、飲み会といったその日の行動が時間と共に書いてあった。

そして、誰と遊んだかや誰と電話したかまでもキッチリ書かれていた。

約30年前の日記だが、私は両親と同じ大学へ進学し、所属するサークルも両親と同じなので、情景は掴みやすかった。ただ、当時は主に電話がコミュニケーションの主役としてほぼ毎日登場していた。

当然だが、私の知らない話ばかりであった。

 

そしてやはり、特に付き合い始めた後に私の父となる男性との関係についての記載が多くあった。

告白の経緯などはほとんど書かれておらず、気がついたら父の登場回数と呼び名が変わっており、半同棲が始まっていた。

ただ分かったのは、告白したのは父の方だが、母は一度断ってるということ。付き合って男女の関係が当たり前になるのが怖いとか、そんな理由。

それでもどういう経緯か付き合って以降は、当然ほとんどはほのぼのとしたカップルの話でデートはどこへ行った、何を食べたとか書いてあるだけなのだが…

たまにくる、倦怠期のような時期の日記と、父が母に迫るのを母が断り続ける日記は読んでいて凄く複雑な気持ちになった。

 

母はヤキモチ焼き(確かにそんな感じだったような…)でかつ、泣き虫だった(これは確かで、私にも遺伝されている)。また、非常に堅い貞操観念を持っていたそう。

後者に関する記載を読んだところで、自分としてもとんでもないモノを読んでいる事に気がついたが、止められなかった…本当にごめんなさい。

 

倦怠期に関して、特に印象的なエピソードを。

父が母とは別の女性(先輩)と写った写真を母に見られた時のこと。

父は恐らく、付き合ったかは分からないが母と付き合う前に同サークルの先輩と良い感じになっていたようだ。

母もその事自体は知っていたようだが、父の不在中に悪いと思いながら父のアルバムを開き、見たことのない2人の写真を見つけ、父が戻るまで目を真っ赤にして泣いていたようだ。

日記には、母は「どういう時にこの写真を見るのだろう」「まだ先輩のことを忘れていなかったのか」と書かれており、最終的には我慢できず言ってしまったそうだが…

父曰く「見つけても知らないフリをしていて欲しかった」「見つかったら別れるつもりだった」とあるが、そこから話し込んで仲直りしたらしい。

 

数えていないけど、このような倦怠期が全7冊ある日記の中で、1冊に1〜2度はあったから10回くらいは来ているはず。

ただし喧嘩の経緯は違えど、最後に至る構成は同じ。

母は「自分が魅力的にならないと父から離されてしまう」「そのためにも努力をしないとならない」「ただ、父は他の女性と付き合った方がもっと幸せだったのでは」と思っていたよう。まあよく聞く話だと思うけど…

 

この日記の特徴は、喧嘩やすれ違いの内容はヤケに詳しく書いてあるのに、仲直りの経緯は殆ど記載がないこと。強いて言うなら、『○時〜△時まで話した』という記載で長期戦だったのか…と察することができる程度。

確かに日記に限らず、嫌な事は経緯も含めてしっかり思い出せるが、好転した時のキッカケや出来事なんて、ロクに覚えていない事が多い。この日記から、改めてそう感じた。

 

倦怠期の中でも特に息子である自分の立場からしてショックであったのが、日記のラストの部分。

母が就職して2ヶ月、研修が終わった頃の事。

母は父に結婚願望について聞いたところ、父は「俺が結婚なんかできるわけない」という旨の事を言ったそう。

母としては、今すぐ結婚ということで聞いたつもりでは無かったが、「高校生とは違い、20代の社会人が好きな人と結婚を意識するのは普通だと思うのに…」「正直ショックだし、だとしたら今付き合ってるのは何なのか」とか散々凹んだそう。そりゃそうだ。

母も父も地方の出身だが、母からすると、東京で就職する父に合わせて地元へ戻らず東京での就職を選んだ、とのこと。

母はその日記の最後に、「不純な動機で東京で就職した私を、黙って送り出してくれたお母さん(=私の祖母)に申し訳ない」「1年経ってもダメなら父の前から逃げて田舎へ帰る」と書いている。

 

モヤモヤするのは、日記自体がこれで途切れている為、その後どういう経緯で父が結婚を意識したのかという点。そもそも、父の照れ隠しで父は始めから結婚する気はあったが、母と食い違っていたのかもしれないが…

この日記の終わり方と日記から伝わる母の貞操観念の堅さを考えると、この後どのようにして私が産まれてきたのか、全く検討もつかない。

それだけに、自分が今ここにいて、祖母と仲良くしていられる事自体、何十年もの前の話から偶然に偶然が重なった結果なのだと思うと、凄く母にありがたく思った。

 

読めば読むほど、母の事を少しでも知れた気がして嬉しかった気もする反面、私が知ったのは「私の母」としての母ではなく「恋する女子大生」としての母であり、母が今も変わらず元気でいたら、本来知る事のなかった、知るべき事ではなかった事まで見てしまった気がして後悔も大きい。

 

母が亡くなってから、父に母の昔話を尋ねるのはお互いに辛い(口には出さないけど、顔で分かる)ので避けていたが、色々と聞きたい事ができた。ただ、聞くには少し内容が直球過ぎるか… 

 

父は、母が日記をマメにつけていたことを知っていたのだろうか。

父は、喧嘩の度に母がこう思っていた、ということを知っていたのだろうか。

 

いずれにせよ、母の日記を見たことは、父には言えない…

 

倦怠期の部分だけ長々と書いたが、殆どは父がいつ家に来て、夕飯は何を作ってあげた、とか、今日はどこへ遊びに行った、とか本当にそれだけの、幸せな日記だった。

母が生きていれば、この時の父との思い出を存分に教えて欲しかったし、もっともっと母の料理も食べてみたかった。

もう母の視点から思い出を語ってもらうことはできないし、母の作った料理の味を思い出すことはできない。 

偶然ではあるが、十数年後に母の命日となる日に、倦怠期を迎え父との未来を感じられないと書いていたところでは、本当に涙が止まらなかった。その人に死に際を看取ってもらったんですよ…?

 

本当に悲しい、悲しい…

 

無念でならない。

 

事故死ではなく病死なので、誰を恨むこともできない…なぜ私の母が亡くならないといけなかったのか……

 

私は、親しい人にあまり愚痴や悩み事を言えないタイプであることと、普段は周りにとても恵まれているから、母の事で悩んだり考えたりすることを言えないが、今日はいい機会なので、母に倣って字に起こしてみた。

 

強がってるつもりは毛頭ないが、母の事を誰かに触れられるとすぐに泣いてしまうので…

 

たった8年程度しか一緒に暮らせなかった私ですら、本当に心の底から辛いし悲しいし叶うことならもう一度母に会いたいと思うのだから、15年から20年一緒にいた父の事を思うと胸が張り裂けそうになる……

 

最後に、母の日記を本人の許可なしに勝手に読んだこと、その内容(デリケートな部分も含めて)を使ってこの記事を作成したこと、その内容をどこの誰が見るかも分からない電子の世界へ貼り付けることを、申し訳なく思います。

本当にごめんなさい。